このジャムは、私たちが様々な活動で協力させていただいているNPO法人海べの森をつくろう会のみなさんが“までいに” 作りました。海べの森をつくろう会では、体験農園/果樹園の活動を活発化させるために、ジャムなどの加工品を試作しています。体験農園でとれた物、協力農家様などから協力して提供していただいた果物などをその時々で使っているので、当面の間は、毎回1回ずつ、そのとき限りの完成品です。
「までいに」は、「気持ちを込めてていねいに」という地元の言葉です。日頃お世話になっているみなさまへの限定品として【季節限定・ヴィンテージシリーズ】としてお届けするものです。女性会員のみなさんを中心に、までいに、までいに、手づくりした風味をぜひ味わっていただきたいと存じます。(写真:海べの森をつくろう会Web)
このジャムが生まれたストーリーを、気仙沼の「海べの森をつくろう会」との出会いから紹介させてください。現地講座の企画、実施のため何度か訪れていた気仙沼地域で、2012年より立ち上がった海べの森をつくる活動・代表の菅原さんたちとの協力関係が始まりました。 (初めての出会い 2012年6月 現地講座で訪問した徳仙丈で待ち合わせ、初めてお目にかかりました)
「海べの森をつくろう会」さんは植樹活動を中心とした故郷づくりを目指して2012年に活動を始められ、2013年にはNPO法人になりました。活動は地元住職さんの「陸の松島をつくろう」の一言から始まりました。(写真は2011年5月の松島)
NPO法人 海べの森をつくろう会 の活動植樹への思い (ホームページhttp://umibenomori.jpより転載)私たちは、東日本大震災で被災した、荒涼たる海べの風景に絶望感と無力感に襲われ、現実を直視できませんでした。その中で、津波にも負けない樹木の存在と、大津波に流された人々の命をつなぎ生還させた木々の存在を知り、次第に将来の災害への備えと共に、美しい海辺を取り戻したいとの想いを抱くようになりました。また、明治三陸の大津波の災害後、先人たちが被災地に欅の木々を植樹し、避難道の建設に尽力したことを知り、おそらく当時の状況も今回の被災と同じように逃げ遅れ、木々につかまり命をつなぎ生還した事実が植樹へと繋がったように思われます。 先人の震災復興への記録と東日本大震災の教訓から、生かされていることの役割を大きく認識した次第で、私たちも、今、木を育て植樹を、そして、揺るぎない故郷の創造を目指します。
山の自然学クラブでは富士山など各地で森林復元、自然再生、植林等の活動を行って参りました。特に地域で育った樹種、種苗の積極的な活用・導入により自然の回復力を活かした自然再生に力を入れて参りました。 2011年4月から三陸地域で有機・生物資材を活用した活動や、地域性種苗による植樹活動、自然再生活動を行っています。
2012年10月、第1回「海べの森の植樹祭」を実施。これまでも、そしてこの後も現在まで、たくさんのみなさんや団体が関わって植樹などの活動を行ってきました。
当初、森づくりのため専門家の指導なども受けたそうです。地域の植物で地域の自然にあった森を再生したいという思いから、近くの神社などで自然の個体から種子を採取して苗を育成することにしました。しかし樹木種子は発芽特性がそれぞれの種で異なり、すぐに発芽しないものも多いため、最初はなかなかうまくいかず、苦戦もあったようです。
2012年から山の自然学クラブメンバーもお手伝いさせて頂くようになりました。東京農業大学からの協力も得て、徐々に採取し育てる樹種を増やしています。最近は近隣地域に苗の供給を依頼されるほどになりました。
2014年。最初のうちは寄付などで活動をしていましたが、そのうち、ボランティアなどできてくれたみなさんがリピーター、サポーターとなって何度でも訪問してもらうための仕組みをつくっていきたいと考えるようになりました。活動の主目的は森づくり、屋敷林です。だとすればそこに農地や果樹園をつくってそこで体験農業、体験農園ができる場所をつくって、季節に合わせて楽しんでもらうような場所があったらよいのではないか、と提案させて頂きました。2014年に観光型果樹園をいくつか見学。しっかりした体験型であればあるほどリピート率も高くなることを実感します。
2016年。最初の果樹を植えて2年がたちました。海べの森をつくろう会が活動地で行う果樹園と畑の運営は発展して軌道に乗ってきています。会員みなさんの働きかけや活動によって、地域の特産品である波路上のいちご生産農家や、近隣地域の果樹園の協力も得られるようになり、体験農業の一環、また、将来は特産品としての販売を目指してジャムなどの開発をするようにもなってきています。今回のvintage・いちごはそんな中、2017年の春につくられました。
気仙沼の階上地区では、夏季冷涼・冬季温暖な気候を活かして昭和40年代からイチゴを生産し、「気仙沼いちご」として親しまれていました。東日本大震災の津波により9割を超える生産施設が被害を受けました。その後、関係機関などの支援により、イチゴ栽培を徐々に再開、2016年には震災前の66%まで復旧したそうです。その日の朝にとったイチゴをその日のうちにジャムに。地元のみなさんの思いが詰まったジャムに仕上がりました。
山の自然学クラブの森づくり・屋敷林再生活動は、自然の復元力に人間が手を貸してあげることで、早く豊かな森に戻れるよう「手助け」をすることが活動の目的です。
まずは会員や家族を中心に、どのような体験学習が企画できるか、試験的に実施をしている段階です。この中からやりやすいものや評判のよかったものを選んで、体験プログラムとして実施しています。活動地の果樹が大きくなり、実をつけるようになったら、さらにいろいろな活動ができるようになることでしょう。(写真は2016年5月、紅花染め体験の様子です)
活動地近くの屋敷林です。潮風などから屋敷を守ってくれています。もうしばらくすれば海べの森をつくろう会で新しく植えた屋敷林も大きくなって、果樹園や畑を守ってくれるようになるのではないかと思います。地域のみんなで活動する農地と果樹園、その周囲に地域の皆さんが集い利用できる、いわば「集落林」としての屋敷林が育っていき、新しい地域の取り組み形態が育っていく。そんな新しい地域の形を思い描きながら、活動をともにしているところです。
これまでにたくさんのみなさんと一緒に三陸を訪れて参りました。この活動の発展もたのしみです。私たちも自分たちができることを続けていきたいと思っています。