岩手宮城内陸地震の跡に行った/大森弘一郎

 2008年6月14日朝の8時43分に岩手宮城内陸地震が発生した。その後、私たちも何か復旧に役立ちたいと話し合ったが、何も出来なかった。その後会員の佐々木誠一が現地調査という形で行き、関係者に微力でも力づけることになると良いなという提案があり、今回それが実現した。
 5月19〜20日、参加者、佐々木、大船、宮代、小野寺、原子内、吉田、大森。快晴の空に浮かぶ穏やかな栗駒山、その山に近づくに従い、災害の爪痕が見えてくる。崩壊地、補修された道路がいたる所にある。それへの驚きは大橋の現場に来たとき吹き飛んでしまった。

 人が作ったものに対する自然の牙の大きさ、その力を見せつけられた。新聞情報で知っていたとは言え、現場で現物を見ての体と脳に飛び込むものは凄い。
 この奥にあるまつるべ温泉の「かみくら」は素晴らしい保養施設に復元しているが、この祭畤大橋(まつるべおおはし)を見たあとの身の心は、中々くつろがないのである。自然は人に優しいが、時にはこう言う時がある、と言うことが染み付いてしまって、体のどこかが緊張している。心の整理がつかないで困った。この橋を見た後に、はしゃいでいた子供が話をしなくなってしまったという話を女将から聞いたがよく判る。
 この橋を保存して記憶に止める、観光に役立てる、忘れるために撤去する。などいろいろの意見があるようだ。被害を受けた人の傷を思うと言いにくいが、起きてしまったこう言う自然現象の証人は、邪魔でないなら残しておいて貰いたいと思う。ここは幸い山間であるし、これを通してこれから人が感じて活かす利益の大きさは大きいだろう−−−しかしこれを言うのは難しい。

 ただ観光の目玉にするだけではもったいない。これこそ被害を受けた人、復旧に力を注いだ人に済まない。ここには力届かず放置されている建物も有るが、建物を直し、道を直し、新しく橋を作り、崩壊を押さえ、している人の復活の力がある。まつるべ温泉のきれいに復活して生き生きとしている姿からは、癒しだけでなくいくらでも立ち上がる活力(元気)をもらえる気がする。そういうことが認知された未来のリゾートを思った。
 幸い人身事故が無かったことが明るいことだ。ここは幸い人口密度の低い山間であった、皮肉な言い方だが、だから被害がこの程度で済んだ、地震地図を首都圏の地図と等倍で重ねてみるとそのことが良く判る。人口密集地であったらどうだったかを考えると恐ろしい。

 しかしどこにせよ自然の美しい日本に住むということは、心の備えが必要だということだ。そのためにも、ここは凄いことを教えてくれる。断層を覗いて見てもどこを見ても、大地という頼れるものが、かくも脆弱であるのか、と考えさせられる。
 ここの大地は1000万年ぐらい昔に日本海の海底だったころ、火山灰や微生物が堆積してできた泥岩や凝灰岩だと言うが、私にはもっと新しい栗駒山等の火山灰も交ざっているように思えた。いずれにせよ要するに地層としては弱い、栗駒山は美しいが、そのなだらかな姿はこれから来ているかも知れないと思うと、美しさは脆さで作られるという、どこかで聞きそうな話しになる、来る途中で見ることが出来た栗駒の姿を思い出す。

 堰き止め湖を作った現場も見た、近寄って新しい川を掘る現場を見たが、せき止めて 出来た土砂と言うのも堅いものなのだなとユンボの爪痕で判った。170万m3の土砂 が崩壊し180万m3の水が貯まった、ほっておくとあふれるまで水位が上がる、それ があふれる時にその堰は急激に侵食されて壊れ、下流に洪水が襲う。下の土砂が崩れれ ばまた上から落ちる。この水位を7m下げるための工事は進んでいる。
 崩れて来た山も今は不安定なので、それを安定化する作業も必要だ、山に張り付いて こつこつと動いている周りの風景には異質に映る重機も頼もしく見えてくる。現場は新 聞からの知識を越えている。大変なことだ。

 震央の真上に住んでいた相沢澤征雄さんの手漉き紙の工房をたずねた。幸いにも出掛ける車の中で異常を感じて帰ったら凄いことになっていたという、その記録写真を見せてもらった。凄いわりにはお話しは落ち着いている、ガラスを片付け、大きな岩を片付けと、机が歩いた足跡という床の傷跡が揺れの回数を示している。

 震央から13km離れた位置にロックフィルダムである荒砥沢ダムがある。ここの管理事務所の狩野所長の懇切な案内を受けた。山の直径1kmぐらいの面積が500mぐらい崩れて滑って動いた。それが湖に流れ込んだ。
 我々はその安全ギリギリの所まで入れてもらった始めての一般人だったが。息を呑む地獄の景観、その中でもくもくと土砂を運び出すユンボ、それが自重で泥の中に沈むのを見た、脱出に苦労していた。水で土壌が液状化するさまをユンボが見せてくれた。今までモコモコした地形を見てこれが流山だと話しながら歩く時、それが出来た時を想像すら出来ないでいた。その出来たばかりの生々しい姿であった。この崩壊の復元、植生の回復までを見届けたいが多分生きていないだろうな。

 さらに迂回して奥に行く、新たに作られた迂回路を入るが作業している重機でふさがれていてここまで。その重機は壁を体当たりで叩き、剥がれ出た大きな岩をシャベルに乗せて運び出していた。ダム湖の維持の大変さを見せられた。

 リゾートを目指すこの地に降ってわいた災害は、日本列島に住む人間全てへの強烈な示唆だ。この場所の地質が泥岩や凝灰岩という弱い岩質であったということもあっただろうが、このようなことがどこでも起こり得る、都会でも原発のそばでも。
 こんなことを考えさせられ、自然と親しむ者はどういう姿勢を保つべきかを考え、頭をかかえたのであった。これを書きながらも頭がクラクラする。全く凄い所へ行くことができたものだ。

 我々は変化に富んだ山を見て楽しんでいる、変化に富んでいるとは、地質が多様であることであるがそれが出来た時を知らない。そのときには人は居なかった。
 それの現場を今回見ることが出来た、山が流れるという非現実のことが現実に目の前にある。このようなことが繰り返し起きて、今の美しい山が有るのだと考えると、山の見方も少し代わる(本文参照)。地震被害の凄さも実の眼で見ることをお勧めする。