再びラリグラス植林を考えたい/大森弘一郎・長谷川博文

 ゴラパニのプンヒルの斜面にカルカ(放牧地)を作るためにラリグラス林が破壊された跡がありました(写真==)、ここで天然更新の現場を発見しました。この原理を真似て復元の作業をして見たいと考えました。これは森林復元へ、広く応用出来る技術になる可能性があります。
 1996年3月16〜28日にゴラパニの調査を行いました。その内容は「記録==ネパールにおける植林と森林の保全」にあります。 今回はポカラで薮椿の苗作りをするほか、ゴラパニの変化を確認したいと考えて前回と同じ時期に行きました。10年前に比べて交通は格段に良くなり、ポカラから2日で現地に行け、ロッジが増えたゴラパニの峠の村は広くなり、その中から前回宿泊したスーパービューロッジを探し当てて宿泊、前回の記録を頼りに変化の調査をしました。 スーパービューロッジの前にあったラリグラスの大木は枯れ、人も変わり、建物も大きくなり、そのためにロッジの同定に手間取りましたが、10年ぶりに同じロッジに泊まることができました。 プンヒルの斜面(10年の変化は写真==、==)に記録したラリグラスの木は探し出すことができ、写真の記録と比較することができました。他の写真も撮影点を探しましたが1カ所を除き、10年経つと目標が変わって、ほとんど位置の同定はできませんでした。プンヒルでの記録の如く、顕著な特徴のある目標(岩)を目印にして記録し、レンズの焦点距離を記録してあるときは、その写真は活きて役立ちます。10年後に役立つ写真という視点をもって記録するということの重要さを改めて感じました。 プンヒルでは成長中のラリグラスの個体に名前をつけて記録していました。エミコ、トモコ、ユリコ、チズコなど。これらの成長を確認出来ましたが、成長は予想以上に遅いものでした。写し込んでいたストックを指標にして10年前の写真と等倍にしてエミコの比較をしますが、(写真==、==、スケールの先が1m)1年の成長量はわずか10cmぐらいでした、別の所でたまたま倒れたラリグラスの新しい切り株(写真==)を発見しましたが、その周長20cmの株(根から2mぐらいの所)に見る年輪は中心から86本、これも成長の遅さを示しています。 トレッカーが増えて、ロッジが増えて(10年で約2倍)ここでの薪の使用量が1トン/日は下らないでしょう。仮にゴラパニのラリグラス林が100haで10万本だとしてこの成長量から全体の成長量を概算すると150トン/年になります。 この計算では使用量を満たす成長として考える時、とても足りないのです。地球環境への貢献をする森林と考えると、それ以上の復元が必要であることになります。
 さて大発見!について。 カルカの上部、森林から200mぐらい離れた場所に8mぐらいの2本の木が重なって成長している場所がありました(写真==)、ユリコとチズコと名付けて記録していたものです。そのそばに座ってぼんやり見ていました。周りには草の根が固まって高くなり、谷地坊主のような形に生えている草の塊が点在しています。その草坊主を跨いで座り観察していました。 そしてはたと発見したのは、その自分の股に抱えていた草の陰にラリグラスの四葉の稚樹が居たのです。初めは草の葉に隠れていて見えていなかったのですが、その広がった草の葉の下の草坊主の北側の面に、ラリグラスが再生していました。数年成長したものでもう大丈夫という姿で安定していました。「何だお前、こんな所にいたの」(写真==。
 そしてその周りを観察していると、草坊主の北側の同じ面に、殆どの草坊主に成長量が異なる状態で生えています。草の葉が雨と太陽光を遮り、人の目からも隠しています。 考えて見るとこのことは非常に理に適っていると言えました。葉が夜に霧を集めて根元に水分補給をしてくれる。草の根の中に適当な養分があるのかも知れない。豪雨の場合は葉が傘になってくれる。日傘の役もしてくれる。 それぞれの草坊主に、大きさを変えて(つまり発芽の年が違う)かなりの頻度で生えていました(写真==)。このカルカの中をくまなく調べて、その成長量の分布の図を作りたいと思いましたが、時間が無く次回のテーマに残しました。恐らく火傷が回復する時のように周辺の密度が高くなっていて(種の散布量が多いことの外に、環境もあるのかどうか不明)周辺から復元する状況が見られるように思えますが、調べて見ないと解りません。恐らく周辺が多く、中心部は復元が始まっていないと思われます。 この場所、それも同じく北の面に、それも一つの草坊主にそれぞれ1本ずつが、なぜ生えているのか。これは非常に不思議なことでしたが、ともかく人工的に発芽育苗をするときに教わる常道の通りの環境が自然に出来ていることを発見したのです。 この草坊主が1m==に1個あるとしたら、このカルカの約2haの中には2万個の適地があることになります。秋に種を採取して、それをこの場所に蒔いたら、あの発芽育苗の難しい石楠花を自然条件の中で効率良く復元させることが出来るかも知れない。これはやって見たいことです。これがもしうまく行くとすると、他の樹木、他の場所にも、この理屈は適用出来るかも知れません。 以前ゴラパニの調査を行った時は、増加するトレッカーのもてなしのためにラリグラスが薪にされ、花が摘まれる(写真==)という現実に対して、育苗と植林の確立こそが解決策だろうと考えました。 そして、現場で採種を行い、屋久島の上屋久町の圃場の協力で苗を育て、これをゴラパニに里帰りさせようと考えました、政治的事情でそれはシバプリに変更され、そこで経験を積んだのですが、ラリグラスの結果に関しては当初の思い通りにはなりませんでした(薮椿の稿に書いてある)。
 今回ゴラパニを再訪し、人の生活圏が広がって様変わりしているのに戸惑いつつも、前回の記録と比較したり、新しい発見があったり、次への試みの希望を持ったのです。 今回、調査の記録というものはどのように生きるか解らないものだとつくづく思いました。前回はヒマラヤの一部を理解しようと行った調査で、その時は続けてやれると思い、まさかその次回が10年後であるとは思ってもみなかったのです。10年の変化を見ようと思っても、10年経つと、記憶も道の形も変わり、同じ位置に立つことはかなり難しい。「撮影の定点(できるだけ変わらないもの)と使用したレンズの焦点距離」の記録があると、それはいつか生かされるのだという経験です。プンヒルでやったやり方(「ネパールにおける植林と森林の保全」平成8年/(社)日本山岳会の記録レポート)は有効でした。 成長の指標木に選んだ3つの木、トモコ、エミコ、ユリコは発見できました。他は見つけ出せませんでした。詳しく記録したコドラドの所にも行くことができませんでした、指標が分からなくなっていたからです。今後は記録の時に変わらない指標を作る方法が必要です。
 3本の指標木のトモコ、エミコ、ユリコは共に成長していました、エミコは今がちょうど花期のようで良く咲いていました、その変化は写真でご覧ください(写真==、==、==、エミコは高さ1mが10年で2mになっていました。ユリコの根元の太さは(数本が集まっていて不正確ですが)1000cm==と2000cm==ぐらいでした。 さてユリコのそばで、ある発見をしたこと(前述)を詳しく書いて見たいと思います。発見の後、他の草坊主の同じ場所を見ると10数パーセントの確率で稚樹がいるのです。 ラリグラスの種はノミの糞のように小さくて風で広く運ばれる反面、発芽がやっとできる力しか持っていません。落ちた場所で水分の補給があり、発根した直後から栄養補給が得られ、さらに乾燥しないという、稀に環境が適する時にそれは成長できます。 人為的にそれを行う技術は日本の設備と材料では確立していますが、ネパールにはまだその技術はありません。
 しかし、気温が適し雨が多く雲霧帯であるこのゴラパニの場所で、どのように再生して行くのかの自然の姿を見ることの出来た気持ちがしました。
 草坊主は、上が髪がさか立っているような形で、傘の役をしています(写真==)。秋にこの上に落ちた種はその傘に遮られて、傘の下には落ちにくいと思われます。運よくそこに風か何かで着地出来ると、傘は日傘の役と、豪雨の時の雨傘の役をしてくれるに違いありません。日傘のお陰で夜霧による水分補給もされるかも知れません。草の根の固まりは、適度の養分を持っているかも知れません。他の場所に落ちた種には苛酷な日射と降雨が待ち受けていて発芽してもすぐ消えると思われます。これはあくまでも推測ですが。
 これも推測で、次回詳しく調べて来ますが、周囲の約100haのラリグラス林に10000本のラリグラスがあるとします、全部咲いたとします。1本に1000の散形花序(花のつき方)があり、それにに21の花が付き、そのさく果の鞘の中に500粒の種が入っていたとします。 そうすると一兆粒の種が生産されて、これがゴラパニの空中に散布されることになります。もしも100haの地面に均一に散布されたとすると(同時ではありませんが)、100haは1兆mm==ですから、なんと1mm==に1粒ということになります。
 これはすごく乱暴な計算ですが、仮に2桁間違えていたとしても、1cm==に一粒であり、風散布において、いかに発芽して生長する確率が低いのか驚かされます。草坊主がこれにどのような役を果たしてくれているのか。この周辺には全く天然更新を見ないだけに不思議な気がしていました。さらに不思議なのは1つの草坊主に1本なのが不思議です。
 しかし、ともかくここは、発芽と生長の天然更新の自然条件を備えていて、ラリグラス帯(ブナ帯という言葉に似せて利用した言葉)での更新システムの1つを見た思いがしました。 ならばそれを人が助けたらどうか。これなら前回の方法よりもはるかに効率が良い。種を採取して、その直後にそれを草坊主の北側の面に草坊主の葉を避けて蒔くのです。
 人為的に行う苗作りの確率よりもはるかに悪いはずですが、それでも発芽育苗の常道に似ていて、どれくらいの確率で更新が起きるのか興味があります。 この草坊主の中に種子の数が解る形で播布して結果を見てみたい。復元をすることと同時に天然更新のからくりを探って見たい気持ちを強く持ちました。今年の10月ごろがチャンスだと考えています。