元気に行こう。復興をめざして。/佐々木誠一

 気仙沼にいる友人の安否確認と少しの品物を持って、早朝実家を出発しました。この日も気温は−3度。行く途中霜が降りてとてもきれいでした。そろそろ海岸の町かなと思っていたら突然ガードレールに様々なものがぶら下がっていました。「これは何だろう」と一瞬理解できませんでした。早朝なので誰も居ません。「そうかこれは津波の跡なんだ」と思ったら急に怖くなって、車をUターンさせて、高台まで戻りました。足が震えていました。
少し停車していると何台か車が、追い越して進んでいきました。ここは行けるのだと思って前進したら、一面瓦礫の見えるところにきました。

 そこを通過して、目に入ったのは線路です。またまたびっくり。

 

 国道からわき道に入ると小川を津波が登ったのが分かります。

 途中に農協がありました。引き潮に倒されたと思う竹がありました。

 

 高台から海を見ると、津波の襲った様子が海まで続いていました。高台の学校の校庭まで海水が来たようです。

 

 友人の家は田の奥の高台にありました。目の前の田んぼを津波がかけ登り、自宅の少し前で止まったそうです。ここは海抜14m位かなと話していました。
無事を確認してほっとしました。電気が2日前に回復して、嬉しかったと話していましたが、まだ水道は復旧していませんでした。持っていった納豆、豆腐、野菜、缶詰、灯油が喜ばれました。避難所に行ってない人は基本的には自分たちで生活をするという事ですが、ガソリンスタンドが壊れているので、ガソリンも入れられず、移動ができないと困っていました。

 帰途踏み切りが見えるところを通過しました。線路が海方向に流され、海水をかぶったトンネルなどが見えました。山側の田んぼをずっと奥まで津波が登ったところもありました。朝通過した場所では、交通情報版の真ん中まで漂流物が引っかかっていました。

 

 

 高台で給水を受けている人、瓦礫を片付けている人、道路の端のごみを片付けている人、ガソリンスタンドを直し再開を目指している人、皆さん復旧活動にとりくんでいました。しかし、膨大な瓦礫を片付けるのには、相当人手が要るようです。ボランティアの姿は有りませんでした。何か手伝おうかと思ったが一人では何もできません。早くボランティアの受け入れ態勢を確立して、みんなで復興に携わることが急がれると実感しました。