浅間嶺の自然を体感する /杉山顕一 2009年4月13日

 ● 日時: 2009年4月13日(月) 天候:晴れ一時曇り
 ● 場所: 檜原村 浅間尾根〜浅間嶺
 ● リーダー:秦 和尋さん
 ● テーマ:浅間尾根エリアを中心に払沢の水源、江戸時代からの歴史道、瀬戸沢の馬方宿などを見て、この地域の自然と対話し感性を養う。
 ● 参加者:9名 (会員4名、一般参加者4名、学生1名)

払沢の滝
08:51 武蔵五日市駅改札口に1名を除き全員集合、後のバスが無いため同駅前8:56発の 藤倉行バスに乗車。
09:20 払沢(ほっさわ)の滝入口下車。遅れた1名もタクシーで追いつきここで合流。
    参加者の自己紹介に続いて秦さんより行程の説明を受け、払沢の滝へ向かう。
09:40 払沢の滝に到着。
floating image 最後の四段目の落差が26mの風格ある滝で、近づくと周囲の空気がひんやりする。厳冬期に凍結して氷瀑となるが近年完全結氷は少ないらしい。
現在水源として利用されてはいないが、清流を汚染させないため、水源看板はあえて残されている。奥多摩では珍しく落差の大きな滝で、自然地理学専門の関さんの説明によれば秩父層の固い海底堆積岩(砂岩)がこの落差を作り出したとのこと。

floating image 滝から近道して時坂(とっさか)の集落に向かう車道に出る。

モモや枝垂桜、ミツバツツジ、シナレンギョウが春爛漫と咲く、懐かしくほっとするような山腹の茅葺の時坂の集落を抜けて浅間尾根道に取りつき、時坂峠へ向かう。
浅間尾根道は、南・北両秋川沿いに住む人々が本宿・五日市に通う大切な生活路であった。甲州中路とも呼ばれ、江戸と甲州を結ぶ要路にもなっていたこともあり、昭和のなか頃まで檜原の主産物である木炭を積んだ牛馬が帰りには日用品を積んでこの道を通った。
名のとおり所々で富士山が遠望できるが、当日は霞んで見えなかった。浅間尾根道の車道が途切れたところが時坂峠。

11:40〜12:20 時坂峠でティータイム。
 峠より北側に望む御前山の山腹には小さな集落が随分高いところまで点在している。 このあたりはツツガムシの調査で秦さんが通ったなじみのエリア。着いたときは閉まっていた峠の茶屋の老夫婦が畑仕事から戻ってきたので、おでんなどを注文したり話を聞くなどしているうち予定時間をオーバーして出発。
 ここから瀬戸沢へ下り、沢を少し登ると立派な木造の一軒宿の前に出る。代官休息処跡地とあり、江戸時代は馬方宿だったところで、小麦を栽培していた畑も見られる。 瀬戸沢沿いの急斜面を登る。ケヤキや沢ぎわまで植林されたスギの根が崩壊地の大岩をがっちり掴みたくましく育っている。
尾根を乗っ越して浅間嶺(せんげんれい)の北側の巻き道を進む。北斜面の崩壊地はケヤキやアブラチャンの雑木林で、林床にはエイザンスミレ、ナガバノスミレサイシンやカタクリ、アズマイチゲなどのスプリングエフェメラル達が崩れやすい斜面に根を張って咲いている。
途中、巻き道の左側の雑木林ではケヤキ、アカシデやアブラチャンが斜面に直角に生え、右側はスギ人工林であくまで垂直に生えている。あまりに対照的な広葉樹と針葉樹の育ち方に出会い、「広葉樹は山側に引張アテ、針葉樹は谷側に圧縮アテ」と知識では知っていても、何故こうなるのか不思議の理由に思い至っていないことに気付かされる。
高原のような浅間休憩所に近づくにつれてコナラ、リョウブ、ヤマザクラなどの雑木林に変わり、茅戸も混じる。このあたりが薪炭林の跡地であることがうかがわれる。

13:30〜13:50 浅間休憩所着、昼食。
 予定のバスに間に合わせるために、浅間嶺山頂の芝山群落と石仏群見学は省略し、昼食を20分に短縮して出発。上川苔のバス停に向かってスギやヒノキの人工林の中をひたすら下山。近頃では珍しくよく間伐されていて、3mほどに玉切りされた間伐材が整然と切り捨てられている。さらに持続可能な資源として活用できないものか。地域によっては限界があるものの、従来の使途、方法に捉われない取り組みが望まれる。
林床にはモミジイチゴ、ハナイカダ、コクサギ、フキ、シロバナエンレイソウ、イカリソウなどが思いのほか豊かに繁茂している。

14:40 上川苔バス停に到着。14:47発武蔵五日市行きバスに乗車。

15:30 武蔵五日市駅に到着、振り返りの後解散。現地講座を無事終了した。

今回は浅間尾根道ののびやかな山気分を存分に楽しんだ現地講座であった。
植物分類学の田中学先生もご参加くださった。ミミガタテンナンショウの雄株の仏炎苞の中に誘い込まれたキノコバエたちの脱出口の話など要所で植物の説明を受け、植物を理解するためには属名と種名を押さえることが重要とのアドバイスをいただいた。