第284回講座(弥陀ヶ原・立山)参加報告/国木田之彦

 小泉武栄先生の案内解説による弥陀ヶ原・立山室堂の現地講座に参加しました。

7月26日(土)晴

08.30八王子駅南口よりいつものいずみ観光バスで出発。22名乗車。
09.15八王子西インターより圏央道に入る。
10.40渋滞もなく横川PA着。
小泉先生より車窓の景観を次々説明してもらう。
「浅間山は2万3千年前に噴火しその後もひきつづき活動を続けている。
上田は信濃国の国府であった。遺跡は未だ未発見であるが国分寺跡は発掘されている。
浅間山と八ヶ岳のあいだにあり古来要衝の地であった。
右手に見えるのが松代で皆神山の扇状地です。ご案内のように大本営の地下壕が造られました。」

12.00小布施PA着。昼食。いい天気になった。須坂の長谷部さん乗車。
「須坂は扇状地です。小布施も扇状地です。酸性が強く、松しか生えていません。果樹園だけです。高社山は盆地のなかの火山です。」
上信越道より北陸道へ入る。
「名立(ナダチ)です。江戸時代、地震による地すべりで全村海に投げ出されています。400余人が死んでいます。」
「親知らずの断崖です。フォッサマグナの西側で3億年前の石灰岩です。硬いです。」
「黒部の扇状地です。段丘レキがみえます。流水客土事業がおこなわれました。砂質で水が抜けやすく水田には適していなかった。赤土を用水路に流し水田に客土し改良した。」
「魚津に埋没林があります。」土砂に埋まった原生林が海面上昇により海中に沈んだものです。
「常願寺の扇状地では大豆、黒豆を栽培しています。このあたり防風林は北側を開けている。南の山側に木を植えている。」

14.50立山カルデラ博物館着。金沢の末松さん、京都の酒井さん合流。
「1858年飛越地震で堆積していた火砕流が泥流となり常願寺川を埋めた。」
「立山カルデラは崩壊型のカルデラです。22万年前に火山活動がはじまり10万年前に大規模な火砕流が起こった。」
立山駅周辺の人工林の上にはサワグルミ、トチノキ、ハンノキがみられる。
美女平を過ぎると大きな立山杉が次々とみられる。直径2mあまりのずんぐりした巨木で太い枝が垂れている。樹齢500年以上と思われる。ミズナラ。
ブナ坂、ブナ平ではブナ、トチノキがみられる。
滝見台。1280m。ネズコ、クロベ、ゴヨウマツ。
アルペンルートに沿って樹齢200年前後のブナの美林がつづく。
「土壌ができやすいところ。水がしみでる谷すじに多くみられる。本来ならこのあたりはブナ帯でブナが極相である。ところが火砕流で土壌条件がわるく岩塊と同じである。杉、ゴヨウマツ、コメツガ、ネズコがみられる。杉は岩尾根など条件の悪いところに生えるものである。」

16.10大観台。称名滝を見る好ポイント。落差350mと日本一。「ショウミョウ」とは「赦免(シャメン)」からきた言葉という。しかし「声明(ショウミョウ)」かもしれない。コメツガ、クロベ。
花崗岩のうえにオオシラビソ。
弥陀ヶ原。ゴヨウマツ、ナナカマド、ヤシャブシ。
「温暖化でもいまある樹木は大丈夫である。しかし更新しない。」

17.00国民宿舎天望立山荘到着。1930m。ザックを置きさっそく弥陀ヶ原湿原散策。
「湿原は火山灰、泥炭、火山灰が積み重なっている。池塘はガキ田とよばれる。水はpH4の酸性、泥炭の水で茶色い。池塘にはえているのはホタルイ。」
「このあたりのオオシラビソは雪の高さまでしかのびない。」
「このあたりの火砕流の厚さは600~800mあり称名滝で500mある。」
ワレモコウ、シラビソ。
18.05立山荘帰着。
18.30夕食。ぶりかまの南蛮がめずらしい。

27日(日)曇り午後雨

06.00外にでると遠くで雷鳴がつづきあやしい雲行きである。はるかに富山湾が見える。
湿原を散歩する。
06.30朝食。
07.40宿舎出発。
08.00室堂バスターミナル着。2450m。
08.40玉殿湧水で水を補給し出発。富山雷鳥研究会会長の松田勉さんのガイドで浄土山にむかう。
「ライチョウは2250m以上におり400羽に足輪をつけた。」
09.30展望台着。松田さんの案内でライチョウの砂あびをみる。ライチョウは人見知りせず参加者全員が10mまで近づいても気にする様子もない。
「山崎カールは2万年前のものです。岩は氷河が運んだものです。」
「ハイマツは雪がないとそだちません。」
「崖垂がよくわかる。土は花崗岩の風化がすすんだものです。」
11.00富山大学研究所。1872m。
「浄土山山体は花崗岩です。きれいなカールです。7〜8万年前です。」
「真砂岳は山容がやわらかです。」
12.10一ノ越手前で昼食。
12.45一の越出発。2705m。ここで二組に分かれる。雄山に登るのは小泉先生はじめ16名。
たくさんの人が登っている。中学生の学校登山の一団が先行している。50mほど登ったところでポツポツと雨がふりだした。雨具をつける。4名が下山。だんだん雨が強くなり雷鳴もとどろく。100mのところで中学生は下山。雷も気にならずどんどん登る。
13.45雄山頂上。2991m。雨が強くなり神社の軒下で雨宿。寒くなり長袖シャツを着る。
14.05雨脚が少し弱くなり下山開始。すぐにまた風雨が強くなる。フードをおさえ飛ばされないようにする。半分ほどおりると雨も弱まる。
14.40一の越。雨があがる。すぐに室堂に向かう。石畳はぬれて歩きにくい。つぎつぎ雪渓をわたる。すべって尻もちをつく。
ターミナルまで200mほどのところで突然横なぐり、土砂降りの雨。大きな雨粒がほおに痛い。突風がくると背中をむけておもわず立ち止まってしまう。あっというまに靴のなかまでびしょぬれになる。
15.20ターミナル着。ほうほうのテイで建物にかけこむ。点呼をとると1名たりない場面もあったがそうこうするうちにバスに迎えに来てもらう。
15.55立山高原ホテル着。2309m。すぐに入浴。
18.00夕食。雨があがりすばらしい夕景色。食堂の大きな窓いっぱいに雄山、大汝山、真砂岳からおくの剣岳までの大パノラマ。こんなにきれいに見えることはめずらしいとホテルの人の言。料理は富山湾の海の幸がいっぱいでたいへんおいしかった。
夕食後のミーティング。雨が降り出し近くで雷鳴がとどろいている中で雄山登山を続行したことに対して大森リーダーより反省が出された。実際中学生の集団登山はすぐに下山している。引率した地元ガイドの判断である。標高差300mの尾根筋、7月27日午後1時すぎという時間から考え、たとえ雨が降っていても我々のレベルでそうむつかしいコースではないが雷をもっと恐れるべきであった。途中で下山した4名は雷について経験と考えをそれぞれ持ち行動されたわけだ。ともかく山頂まで登りたい、まだ登っていない山ならなおさらである。こういう状況で途中下山の判断をくだすのは個々の自己責任をこえ、グループ全体の危機管理能力ということになろう。会の今後の活動に生かされるだろう。リーダー責任の重さを考えた。

28日(月)曇り

06.00起きぬけにさっそく入浴。浴室のガラス窓に雨がふきつけている。昨日のような土砂降りである。
07.00朝食。雨量が多く道路が閉鎖されているとホテルから説明がある。
08.35開通のチャンスを逃さないために室堂観察を変更して下山する。雨はあがっている。
09.05称名滝をみる。昨日、今朝の雨で水量が何倍にもふえている。滝の右側にも2本、3本と滝ができている。
09.25美女平。やはりゲートはまだしまっている。雨量が40mmになると閉鎖される。
10.40いつまでも待てないのでケーブルで立山駅まで降りる。
10.50立山カルデラ砂防博物館着。バスもまもなく到着。館内で説明を聞く。
「立山カルデラは500〜1000mおちている。カルデラには陥没、爆発、侵食のタイプがあるがここは侵食型である。活断層がとおっている。安政5年の地震で常願寺川に土石流があふれ下流に大きな被害をだした。明治以降砂防につとめてきた。今も崩落はつづいており一般の立ち入りは禁止されている。立山の年間降雨量は6000mmあり日本の平均の4倍である。」
立山カルデラの全景をとった写真をみるとカルデラの大きさがよくわかる。弥陀ヶ原、室堂平はカルデラの縁にへばりついている格好である。 13.05博物館出発。
13.20立山雄山神社。200年以上のまっすぐにのびた樹高の高い杉がそろっておりみごとである。
高速道が開通したばかりという情報があり高山まわりで帰ることにする。北陸道から東海北陸道へはいる。
「教科書で紹介されている砺波の散居村です。火災で類焼するのを避けるためといわれています。」
15.15白川郷インターでおりる。高台の合掌造りの家屋が一望できる場所を案内してもらう。
一度は実物をみておきたいので好都合だった。横浜三渓園に矢の原住宅として白川郷の合掌造りが保存されており内部を見ることができる。
ふたたび高速道へはいる。すぐに長いトンネル。7月5日に開通したばかりの飛騨トンネルである。10710m。関越トンネル11055mにつぐ日本で2番目に長いトンネルである。トンネルの下半分を換気口に利用する珍しいシステムである。この東海北陸道は名神高速と北陸道をむすぶ185kmの高速道路である。
飛騨清見ジャンクションより高山までの高速道へはいる。これも将来松本と福井をむすぶ中部縦貫道160kmの一部となるよう計画がすすめられている。
16.50道の駅高山で休憩。
平湯、安房トンネルをとおり、おなじみ釜トンネル入り口をすぎる。
18.20道の駅風穴の里。
松本インターで長谷部さん下車。
車中では会員の発表が続いた。西村さん「乳(丹生)という地名は水銀に由来している。古来水銀は金銀の精錬には欠かせず、金銀とおなじく珍重された。」
高野さんはデジタル写真をもとに立山でみた高山植物を報告。数量のおおさに驚く。
門司さんは一人鳥合わせを披露。ウグイスの鳴き声しかきかなかったと思ったが多種類の鳥を観察されている。鳥の渡りについても話がはずむ。
21.35八王子北口着。帰途渋滞もなくほぼ予定どおりであった。
天気だけはままならず計画どうりというわけにはいかなかった。参加者個人としては結果オーライでまずまずの現地講座であった。リーダーはグループ全体の成果と危機管理を考えていることを感じた。