房総講座雑記/傍島夏生 2007年11月10日

 千葉県在住なら房総講座こそは、と家内共々での参加となりました。ご配慮により木更津でバスに拾っていただき現地へ向かいました。 外房の海が見え出すと懐かしい気持ちになります。温暖な気候に照葉樹林、複雑な地形のリアス式海岸、新鮮な魚介類・・・南房総は私の生まれ育った三重県の鳥羽に何かと似ているからです。
 なめかわアイランド駅付近から内陸に標高140mほど登ったところで下車、そこは夷隅川源流があるいう勝浦市上大沢というこじんまりした集落です。ここは風の通り道になっているという関先生の説明にふさわしい(?)強風が今日は吹き抜けており納得します。集落の南側は極端な急斜面となっており、その先に太平洋が望まれ絶景です。この急斜面の成り立ちには、陸の隆起・海面の低下・地すべり・海蝕・太平洋プレートの動きなどが複雑に絡みあっているようです。自然の過去を紐解くのは気の遠くなるような話です。地形としては非対称山稜のミニ版といったところでしょうか。
 集落の西側に出ると田圃が現れました。概して山上の台地なのに田圃とは不思議です。藪っぽい小道を奥に進むと、数年前までは利用されていたと思われる小さな休耕田が水を溜めていました。ここが夷隅川の源流です。
 関先生はなおも奥に進みます。杉の植林地の先で先生の足が止まりました。そこには太平洋側に水が激しく流れた跡(=V字状の溝・ガリー)がありました。杉の植林をした影響で、夷隅川にそそぐはずの流れが増水時に急斜面の太平洋側に流れるようになって出来たものとのことです。つまり夷隅川の源頭部は人為的に変化させられたのです。そしてそのガリーに、山上での稲作を可能とした秘密が観察できました。表土・火山灰層(赤土)の下には粘土層(海底の泥)がありました。この粘土層が水の浸み込みをブロックしているので田圃を作ることができたのです。
 「ヒルだ!」、突然うしろの方が私の肩を払いました。頭を持ち上げたヒルがいたのです。先生のお話で「以前ホタル見物に訪れた時はヒルの被害にあった。この時期なら大丈夫でしょう」とのことでしたが、これも温暖化の影響でしょうか。後のバスの中で、先生の靴下から既に血を吸った1匹のヒルが発見されました。鹿の移動とともに生息地を広げているそうです。この近くで花をつけたトリカブトを見かけました。思いがけないことです。これも資料にあった生物の隔離分布なのでしょうか。

 さて、上大沢の南側急斜面下には下大沢という集落があります。二つの集落は、どてら坂という急勾配の生活道路でつながっており、ひとつで機能しているのだそうです。例えば、上で農業を下では漁業を営んでいるのです。どてら坂から下大沢に下りてみます。坂の途中でも地層の露出面があり海底の泥や火山灰の堆積層が観察できました。お墓が斜面の見晴らしの良いところにあります。少ない平地は貴重で宅地に利用されるためだそうです。おりしもツワブキの黄色い花が点々と咲き趣のある坂です。下大沢集落の最奥にひっそりと佇む八幡神社ではカラス天狗の木彫りが見物できました。
集落の目の前は太平洋です。高さ数十mの断崖「おせんころがし」も望めます。この地形もガリーが発達したものとのことです。名前の由来は昔、おせんという娘が仕事中に転げ落ちたとか、自らの死をもって強欲非道な父親を改心させようとしたとか諸説あるようです。

 「地元の野菜を販売している「みんなの里(道の駅のような施設)」に寄りました。千葉県は野菜については地産地消が可能な県とのことです。ここでは弁当食事は不可とのこと、大山千枚田に移動し棚田クラブの施設で遅がけの昼食となりました。なんと世話人より熱い飲物(製造元:亀田酒造)が手配されていました。人によりますが、いたく好評だったようです(私も)。
 お腹も満たされ足取り軽くなったところで千枚田散策に出たところ、すかさず「アゼミチには入らないで下さ〜い!」の注意が。アゼミチ?田圃に畦道はつきものでしょうに?・・・早い話が部外者の田圃への立入りは禁止だったようです。稲の刈取りは終わり蛙もバッタもいない静かな棚田、向かいの山には霧が湧く・・・こんな風景も今は国民的風景というのだそうです。ここの田圃は375枚あるそうで高台まで続いています。
上大沢のように
@緩やかな地すべりの地形
A雨水を深く浸み込ませない地層
B多雨
という条件が揃っているのでしょう。米という日本の主食を供給してきた田圃がその役目を終え、棚田百選として半観光化された大山千枚田、片や宅地になり又放置された上大沢の田、割り切れない気持ちを抱いて大山千枚田を後にしました。
しばらくして先生の解説中に「ひとり、隣の人がいない!」の声。バスはバックし・・・追いかけてきた隣の人と無事合流できました。隣の人の隣の方は曰く「バスが動いているのに気がつかなかった」と。爆笑の中バスは進行しました。
 最後の予定地、館山の沖ノ島は、時間の都合でカットとなりました。先生から次の解説がありました。「以前は沖ノ島の近くに高ノ島があった。自衛隊基地造成での海の埋立てに高ノ島は飲み込まれてしまった。また関東大震災時の隆起と造成の影響で沖ノ島は陸続きとなった。時代の違う地形図を見比べると意外なことがわかり面白い」。沖ノ島にも是非、訪れたいと思いました。
 終日雨模様でしたが、不思議な夷隅川源流の自然と双子集落、人間の都合で翻弄される田圃・・・房総の「自然と人間の営みの歴史」の一端を見聞でき有意義な房総講座でした。関先生の熱のこもった解説と資料、大森さんの諸々のご手配、感謝しつつ木更津で降車し皆さんとお別れしました。