糸魚川と立山カルデラの旅(第269回講座)(主催者の報告)/大森弘一郎
欲張りすぎていささか疲れた糸魚川・立山カルデラの2日間だったが、無茶苦茶に収穫の多い2日間でもありました。この中身を2日でこなした意味には実はさもしい動機があったのです。バス代と宿泊代を安く上げようということであり、この意味ではよかった、もし3日の行程を組んだら費用は2倍近くになったわけですが、来年は3日の贅沢もしてみたいものです。
1日目、朝の8時に八王子を出発、25人乗りのバスに23人、途中から乗る人を入れて満席。それは二酸化炭素の一人当たり排出を最低にする配慮である、というと格好がいいが実はこれが一番安上がりだからなのです。
中央道と長野道を走る道の両側には、自然の教材が一杯、それぞれが知っていることの解説をする。見ていると流れ山や扇状地や、堆積岩の断面や、小さな火山が次々に現れる。
参加者が調べてきたことの講義がある、これが分厚い資料まであって、いつの間に地質学者になったのかと思うほど、しかし引用文献があった。
こんなことで時間の掛かることが全く気にならない内に、5時間で糸魚川フッサマグナ博物館に着いた。ここには富山から立山カルデラ博物館の飯田肇さんが菊川さんと共に迎えに来ていてくれた。宮島先生の案内で館内の見学、あわよくば河原でヒスイを拾えるかと思って来た人には夢を打ち砕く結果になったが、そう簡単には採れないことが分かった。フォッサマグナが作った石灰岩と蛇紋岩の間にヒスイはいて、それが何かの拍子に出て来て河を流れ海の底にいるそれが大波の時に海岸に打ち寄せられるのだそうで、山師たち特に女性は次回を心ひそかに期待しているようであった。
石灰岩の大岸壁、この石が太平洋のサンゴ礁であるとはにわかに信じられないのだが、フォッサマグナが幅広い海峡であった時があると考えると分からないではない。(表紙写真)
あまり大きくて盗掘者にも手が出なかったというヒスイの大岩がある、ヒスイに気を取られるのを小野氏は気に食わないようで、岩にはどの岩にも値打ちがあるんだという、この小野先生の話の意味は時間が経って分かって来るのであった。このような行動でしたが後のことは吉村さんの報告の通りでした。
立山カルデラ講座を終わって、次回の企画の参考に。この計画をあと2日後ろにずらせておけば、全日晴れであってもっと楽しかったのにと思うのだが、その後また崩れており、半年前に梅雨あけの好天の予測は難しい。気象が乱れていることを勘定に入れて、夏休みの計画前のギリギリにと気象専門の飯田さんと相談して決めたのだが。初日の夕方の弥陀ヶ原の晴れで、梅雨明けを期待したが、立山荘から見る西の水平線に厚い雲が不安、その通り2日目は曇り時々傘必要となった。
それにしても翡翠峡や弥陀ヶ原は素晴らしかった。翡翠は河原に行けば小さいのならゴロゴロ転がっていて、ビニナーズラックに一人ぐらい巡り合えるかと思っていたが、これは浅はかな考えであった。大嵐の直後の河原とか、海岸でないとだめだよと夢を打ち砕かれたわけだが、複雑な石の存在にむしろ目が行き、ここがフォッサマグナの上であることに思いをもどすのであった。 考えて見れば翡翠でなくフォッサマグナを知りに来たのであった。
東京から出て翡翠峡、弥陀ヶ原、カルデラと回るのは強行軍であることは始めから解っていた、しかしこのコースを貸しきりバスなしで行くとしたら、まず4日はかかったであろう。美女平まで駅で並んで待つ事なく、カルデラにはくじ引きの運の関係もなく、予定通りスムースに行けたのだから、計画としては上出来であった。飯田さんと飯田さんを始めとする博物館の方々の行き届いた同行サービスには頭が下がった。
平素は知らない弥陀ヶ原のすぐ裏のカルデラでは、鳶崩れのすさまじさを実感出来たし、立山温泉の往時を思うことも出来た、変化する山との付き合いは大変なものだと思った。我々は平素表しか見ていないのだ。
柏崎の原発の直後でもあり、発見されたばりの跡津川断層の意味も良く解った白山まで60km続く断層の発見の話と現物を見た。噴気孔も見た、砂防ダムの現場も見た。トンビ崩れの岩と泥の量が4億m==でその半分が安政5年に富山を襲ったという、崩れた断面は良くある山の植生が剥げた部分とそう変わらないが、その数字もピンと来ないが、被害の大きさを聞くとスケールがわかるのだ。地球の温暖化の元になっているCO==を見ると、炭素換算で30億トン毎年増えているという。トンビ崩れの量の5倍ぐらいの翡翠ならぬダイアモンドが空気に溶けて増えているのだなあ、と妙に実感が掴めたりした。
このように収穫は多かった、しかし参加者は疲れたであろう、濃縮ジュースを飲んでから後で水で薄めるようなことになったがおなかをこわさねば良いが。東京からのバスの中を無駄には出来ないとばかり皆準備して来た資料を配っての勉強で、行きも帰りもほとんど休む間もなく。食事も車中で八王子に10時40分に帰ったのであった。25人乗りがきっちり満席で、地球環境へのダメージも最少ですんだ。次回はもう少し予算も用意してゆっくりした計画にしたいものだ。