山の自然学クラブ:里山再生活動

参加レポート

身近な自然から/東京都町田市
 〜 里地里山の保護活動と市民参加の自然公園管理

開催日:11月16日(日) 場所:町田市/片所谷戸、かしの木山自然公園

■イントロダクション

 裏山で薪を拾い、食料や資材を集める。恩恵にあずかるために手を入れてその山を良い状態にしておく。身近な自然との、こうしたバランスの取れたつきあい方はなかなか見られなくなった。近年高まりつつある里地・里山の保全活動は、一時期無視され忘れ去られてしまったそんな知恵を再び現代に活かそうという試みに違いない。  しかし都市化が極めて進んでしまった現在、それは容易なことではない。土地所有者の権利、経済原則、行政論理、そして自然のバランスの脆さ、様々な要因が絡むからである。11月16日(日)に行われた「身近な自然から/東京都町田市〜里地里山の保護活動と市民参加の自然公園管理〜」では、山の自然学クラブ 長谷川理事のコーディネートにより、2つの異なる事例を拝見しながら、我々が取り得る活動の様々な可能性を考える機会に恵まれた。

■午前:町田市小山 片所谷戸にて「宅地にかろうじて残る偉大な自然」

 当日は曇りで時折小雨がパラつき、冬らしい寒さとなった。参加者16名は京王電鉄相模原線多摩境駅に降りたって、片所谷戸を目指した。

多摩ニュータウンの西端に位置する多摩境駅は切り通しに作られた駅で、ホームから階段を登って外に出ると、開発された造成地や立派なマンションが目に入る。途中はこぎれいな住宅が建ち並び、まさに開発途上のベッドタウンといった雰囲気だ。都心方面から来た身には冷たく澄んだ空気がすがすがしい。いい環境だなと思う。やがて斜面を下る途中、墓地越しにこんもりとした森と手前の谷が見えてきた。そこが午前中の目的地、片所谷戸だった。

 

 片所谷戸は広さ約3.6 ha、周囲を住宅で囲まれた多摩丘陵の典型的な谷戸である。周辺の人口が一気に増加した昭和30年−40年代にも谷の深さが幸いして開発を免れ、貴重な自然が残っている。1998年に活動を始めた「小山のホタルと自然を守る会」の菅原氏が最初に、地図や写真を使いながら概要を説明してくださった。氏によれば、この地で驚くべき発見があったのは2003年のことであった。世界でわずか100株ほどしか自生していないというホシザクラが見つかったのである。ホシザクラは、白い花を支える5枚の紅色のがくが星の形に見えるためにこう呼ばれている。1992年に初めて発見された多摩丘陵の固有種で、環境省も絶滅危惧種の最高ランク「1A」に指定している。その100株のうちの約50株が片所谷戸にあるそうだ。新聞にも取り上げられ、世の中の関心を集めた。そのほか、50匹ほどのゲンジボタルやホトケドジョウ、オオムラサキなど様々な生き物が生息し、植物も豊富だ。ある研究者の調査では環境のバロメータと言われるシダ類が32種も確認されたという。

 

 目下のところ心配なのは、今年になって新たな宅地開発計画が持ち上がったこと。谷戸の土地は町田市所有の一部を除き、京王電鉄をはじめとする民間地権者の所有だ。市街化区域であり、開発を禁止する法的根拠はないそうだ。「守る会」では自治会・市内関連団体と協力して署名運動をスタートし、町田市議会に働きかけるなど保全へ向けた活動を進めている。

 一通りお話いただいた後、谷を遡るように歩いてみた。早速3本ほど一列に並んでいるホシザクラに出くわす。ここで「守る会」事務局長の柿澤氏から解説があり、実は太さの違うこれらは親子だとのこと。

 

ホシザクラはあまり実を付けず、非常に萌芽しやすいことが特徴で、親木の根が1m〜1.5m伸びた先で子供が芽を出す栄養繁殖を盛んに行う。以前は隣駅の南大沢にある都立大学のキャンパスまでホシザクラの個体がつながっていたのではないかとも言われている。

 谷の東側に沿って奥へ進むと山側は豊かな林となっていた。谷底の池に流れ出る湧水の貴重な水源である。片所谷戸にはホシザクラの他にもヤブザクラ、カスミザクラなど8−9種類の桜があるそうだ。花の時期には実にきれいだろう。

 あっという間に谷の終点に着いてしまった。谷の奥を見上げると4−5階のコンクリートの建物が見え、手前には開発時に盛土した土砂の斜面に規則的に苗木が植えられていた。その向こうはもうコンクリートとアスファルトの世界だ。しかし、振り返れば水源の湧水が小さな川となっているのがわかる。清らかな水に手をいれた柿澤氏が5cmほどの大きなホトケドジョウを見つけて参加者に見せてくれた。この対比が自分を何とも複雑な心境にさせる。この川にいるカワニナを餌にして毎年ホタルが淡い輝きを見せてくれる、シマアメンボやトンボがいる、国蝶のオオムラサキが姿を見せ、アオゲラやオオタカなどの野鳥が飛来する、小さいとはいえ貴重な本物の自然だ。谷の西側を戻ると、ホシザクラの大木が見えてきた。

 谷戸は放っておくと植物が密生し、陽の光が差し込まなくなってしまう。そのため「守る会」では、ボランティアも募集して下刈りなどの手入れを行っている。「20年以上経った木は分け隔てなく切るというのが雑木林の一般的な管理方法だが、ここでもその方針は変わりません」という。空間を作り、陽当たりを良くして植物の多様性を保っている。

 「守る会」ではホシザクラの挿し木にも挑戦しており、今年は100本中17本を根付かせることに成功した。また、手入れを委託された市の管理地への植樹、下草刈りなどの作業も行っている。地道な活動が大切だ。

 こうして保全が進められている 片所谷戸にはここ1−2年、大学などから見学希望が多く寄せられているらしい。里地・里山をテーマにしたフィールドワークだろうか。関心の高まりが見て取れる。もともと行っているホタルの観察会や、地元小学校からの屋外授業受け入れも活発だ。小学生たちからは、お礼の意味もあるのだろうか、気持ちのこもった絵看板が贈られ、入口で人々にメッセージを送っていた。

 

 わずかな時間であったが、以前は多摩丘陵に多くあったであろう谷戸の自然を体験することができた。宅地開発との葛藤、そこでの保全活動の一部に触れられた気がする。「今年は2週間ほど早かったけど、だいたい3月下旬、花の咲く時期に一度来てくださいよ。ホシザクラは”極めて”かわいい花ですよ」と目を細める柿澤氏の表情が印象的だった。

■午前:町田市小山 片所谷戸にて「宅地にかろうじて残る偉大な自然」

 午後は電車で20分ほど移動し、JR横浜線・小田急線の町田駅からバスで「かしの木山自然公園」へ向かった。駅前の市街地を抜け、団地や住宅地を通って20分ほどバスに揺られると、大谷原のバス停に着く。そこから坂道を登ると公園の入口が見えてきた。脇に、三井化学生命科学研究所の建物が木立に囲まれて建っている。愛護会の方によると、この研究所は撤退が決まったとのこと。公園のすぐ隣なだけに跡地がどうなるか気がかりだ。

 公園北側入口から入ると管理事務所・展示施設・レクチャールームなどを備えた建物「森の家」があった。誰でも自由に利用できる施設で、名前も公募で決められたそうである。

 町田市成瀬にある「かしの木山自然公園」は、町田市街・丹沢・奥多摩を遠望、西に恩田川を見下ろす丘の上にある自然の雑木林を生かした面積約 5.5 ha の公園だ。1988年の開園以来、自然環境保護を願う住民有志が中心になってかしの木山自然公園愛護会を設立。町田市から管理を委託されて、園内の手入れはもちろん、近隣小学校の授業受け入れ、毎年のイベント「かしの木フェスタ」の開催といった活動を精力的に続けている。愛護会には樹木野草部会・野鳥部会・昆虫部会・工作部会 の4部会があり、講演会や自然観察会、他の自然保護団体との交流などが活発だ。長谷川理事はこちらでもボランティア活動を行っている。

 森の家で昼食後、皆さんに園内を案内していただいた。まずは、森の家の裏手にあるススキ野原からだ。ここはかしの木山自然公園の土地が市の所有になる前、造園樹木の苗床として使われていたところで、イヌマキ、イスノキなど園芸・造園用の樹木が多く残っていた。その一部を伐採し、武蔵野らしい草原にして、地元種の草花で更新が起こるよう管理することに決めたそうである。木を伐採して7年とのこと、だいぶススキ野原らしくなっている。

 東へ向かう通路の脇はかつてはササ藪で、鳥の隠れ家になると10年ほど放っておいたが、見栄えの問題もあって刈り払い、絨毯のように広がっていたテイカカズラも取り除いた。

 12月ころに機械で刈り払いすると、次の春にはスミレやアザミが一斉に出てくるという。しかし、初期段階の野原を維持するのは大変で、すぐにササやモミジイチゴ、つる性の植物が繁茂してくるそうだ。樹木野草部会のメンバーは、来園者に、どこの公園にもあるようなハルジオンやヒメジョオンではなく、在来種のノハラアザミやスミレで季節感を感じて欲しいという願いがある。ノハラアザミは種を取って育てようという試みもしており、野菊やクサボケも増やそうとしている。そうした狙いがはっきりしているので、モミジイチゴには「申し訳ないが、ここで生えるのを我慢してもらっている」し、鳥が運んでくるエノキや樫の木にも遠慮願っているとのことであった。

 さて、その草原の奥はどうなっているかというと、コナラやクヌギなどのいわゆる雑木林である。ここでは基本に忠実に15〜20年周期で木を切ることを方針としているとのことだが、中には50年くらいの株立ちをした木も残っていた。対照的なのは、通路を挟んだ反対側のエリア。こちらはあえて何も手を入れないことにしていて、うっそうとしたシラカシの森となっている。かしの木山自然公園の面白いところは、このように通路を境として全く様相の違う植生がいくつも用意されていることだ。さながら自然とのつきあい方を見せる見本市のようだ。立て札には「自生していた常緑照葉樹のシラカシは一時期、荷車などの材料に重宝され、人の手で植えられるようにもなった。しかし今では使われることもなく、シラカシが原生林のようになっている。人が手をいれるかどうかの判断が課題となっている」といった趣旨のことが書かれている。来園者への問題提起であろう。

 鎌倉古道の歩道を下っていくと次はきれいに手入れされた竹林が。太い孟宗竹には、小学校の「竹の学習」という札が付けられており、観察した日付が書かれていた。下りきったところで道は小さな谷戸に向かい、そこには「トンボ池」があった。ゴムシートを三重に敷いて作った人工池だ。きっかけは1994年の台風で崩れた土砂が下の住宅に流れるのを防ぐための対策だった。工事のブルドーザーでできた裸地にクロモジなどを植えた他は何も手を加えなかったが、今ではすっかり湿地らしくなっている。季節になればツリフネソウのピンクの絨毯が見られ、池にはアカヒキガエルやかるがもの姿が見られるほどになった。ショウジョウトンボとオニヤンマの二種類のトンボも確認されている。

 

 木道で池を越えると道は登り、再びススキ野原を経て雑木林に来た。この雑木林は南側を切り開き、どんぐりから育てたコナラやクヌギが植えてあった。切り株から出た萌芽枝も育っておりそちらは3年、ドングリから育てた6年生の木よりも大きくなっていた。

 雑木林の木々は10〜20年周期で切っても7、8回は簡単に再生するという。切り開いた林には40種類にのぼる草花がみられ、切っていない林の約10種類を上回っている。

 ところで、説明の中で、雑木林を残していくための一番大きな足かせは世代ギャップかもしれないという話があった。熱心に雑木林を語っていただいた樹木野草部会の方は70代だそうで、この世代から上は子供のころに雑木林で遊んだ経験もあるし、手入れの仕方を知っている。50〜60代は少なくとも見たことはある。40代から下は見たこともない。何かを継承する時に、実体験の有無は大きな違いを生む。自然とつきあうといっても、体験がなくてはイメージも湧かないだろう。参加者は一様にうなずいていた。

 森の家へは丘を歩いて戻った。丘の上は開けていてベンチもある。町を見下ろせるあずまやもあって、ここが結構な高さにあることがわかる。天気のいい日には丹沢の山々も遠望できるそうだ。鳥の巣箱を見つけた。野鳥部会が取り付けたもので、木の途中にネックレスのようにたわしが巻き付けてあった。蛇よけだそうだ。

 かしの木山自然公園の場合は、地元を中心に自然を愛好する人々が頻繁に訪れて手弁当で活動をしている。市は管理棟の維持経費を負担し、管理人兼作業員を毎日2人配置し、その費用を出している。公園の整備の仕方やイベント開催については住民とボランティア主導ですすめ、どうしても無理なところは市が行っている。例えば太い木を切り倒す場合はボランティアでは難しい、危険が伴うこともあって専門の業者に発注する必要があるのだ。これは市におねがいしている。両者の関係がとても上手くいっている例ではないだろうか。

 もっとも、苦労はやはりあるようで、実は4つある部会の意見がぶつかるといったこともある。密生したキンモクセイを切るべきだと樹木野草部会が提案しても、野鳥部会は鳥の隠れる場所がなくなるといって反対する。昆虫部会にとってもやたらと草を刈られるのは困るわけだ。そのあたりは何度も十分話し合って、最終的には合意の末にアクションを起こすことにしている。町に隣接した公園では防犯も問題で、あまり藪が深いところを残しておくとよろしくない。ペットなどの廃棄もあるそうだ。トンボ池にいつのまにかカミツキガメやジャンボタニシがいたりする。子供たちが多く来るので、広場の木に登ることもある。いかにも登ってくださいというような樹形をしたこのナツグミは老木なので、できれば痛めたくない。でも登りたい気持ちもわかる。だから周りをちょっとした草と低い柵で囲んで、登る人数を少しだけ抑える工夫もした。かと思えば、近頃は笹で切り傷を作っただけで大騒ぎする親御さんもいるので子供の遊び場になる場所は危険がないように注意しないとならない。

 案内していただいて感じたのは、我々に説明をしてくれた皆さんの表情が一様に明るいこと。なんだかんだと苦労はあるものの活動をとても楽しんでいる様子が見て取れる。誇りを持って活動しているのがよくわかる。

 公園というかたちで身近な自然を守り、できるだけオープンに、どんどん人に使ってもらう活動を成功させている秘密がここにあるように思えた。